投資の神ウォーレン・バフェットの驚くべき人生

お金

みなさんこんにちは。オタリアです。
かの有名なウォーレンバフェットの人生について紹介します。

生まれ

バフェットは1930年8月にネブラスカ州オハマで三人兄弟の家に生まれました。世界恐慌の10ヶ月後です。
アメリカの株式市場は第一次世界大戦の戦費に近い額を失い、彼の父もお金も仕事も失っています。

彼の父はそんな苦境に負けず証券会社を立ち上げ、バフェット家の生活水準を中級階級にまで押し上げることに成功しました。

そんな父親に、バフェットは大きな影響を受けたと思います。

初めてのビジネス

バフェットは六歳の時にビジネスの世界に足を踏み入れます。
近所の人を相手にコーラなどを売り、収益をあげていました。

11歳の時、初めて株式を購入し投資家としての人生を歩み始めます。
初めての投資では1株38ドルで3株購入し、40ドルになったときに売却し利益確定しました。
しかし売却後1株あたり202ドルまで上昇し、バフェットは忍耐することの大切さを学んだそうです。

高校生活

中古のピンボールマシンを購入し、理容店に置くビジネスを開始しました。
このビジネスは成功し、週50ドルの利益を稼ぎ出します。
その後、この事業を1000ドルで売却しました。

そのように様々なビジネスを通して、5万3000ドル(約600万円)という財産を16歳で手にしていました。

大学生活



高校生の頃から優秀なビジネスマンであったバフェットは、一流校であるペンシルベニア大学に進学しますが、意味を見出せず2年で退学しています。
退学後は地元のネブラスカ大学に再入学します。

19歳の時には、ベンジャミングレアムが書いた「賢明なる投資家」という本を読み、そこで書かれていた「価値ある投資」に感銘を受けます。

ベンジャミンが教壇に立っていることを知り、大学卒業後、コロンビア大学のビジネススクールに進学して投資を学ぶようになりました。

ベンジャミンの授業で最高成績A +を獲得したのはバフェットだけだったそうです。

社会人生活(1950年代〜)

ビジネススクール卒業後ベンジャミンの会社で働くことを熱望しますが、ベンジャミンはそれを聞き入れることはありませんでした。
そうして、父の会社で株式ブローカーとして3年間働きます。

1952年に結婚し、三人の子供に恵まれます。
しかし決して恵まれた生活をしていた訳ではありません。
寝室が三つの小さなアパートを築き65ドルで借り、質素極まりない生活をしていたそうです。

1954年、ベンジャミンから仕事の誘いを受け、ニューヨークに移り、2年間ベンジャミンの会社「グレアム・ニューマン」で証券アナリストとして働きます。

1956年、ベンジャミンの引退に伴い、「グレアム・ニューマン」は解散。
バフェットは友人から資金を集めて自ら「バフェット・アソシエイツ株式会社」を創立します。

1957年には、5つの寝室がある家を3万1500ドルで購入しました。
なんと彼は億万長者となった現在もその家で暮らし続けています。

その後も新たに会社をいくつも立ち上げるなど事業を拡大し続け、1962年、バフェットは全ての会社を合併処理浄化槽「バフェット・パートナーシップ」にまとめました。
この年にバフェットは長年の夢であるミリオネアになることができました。

1960年代初頭、「バークシャー・ハサウェイ」という繊維会社の株を買い始め最終的に経営権を握ることができるようになります。

社会人生活(1980年代〜)

1982年には4億ドル弱だった資産は、翌年には6億ドル超にまで膨れ上がりました。
1986年ついにビリオネアとなり、2008年には世界長者番付で一位になることができました。

まとめ

日本円にして七兆円という国家予算並の資産を保有するバフェットですが、実際の彼の生活は質素そのもの。
ずっと同じ家に住み続け、公共交通機関を使い、ファーストフードを食べています。

また、世界有数の事前活動家としても有名で、これまでに460億ドル以上もの金額を寄付しているそうです。

世界一位のお金持ちになっても贅沢に溺れない姿は素晴らしいですよね。

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